今日はちょっと真面目なひとりごと。
私の座右の銘は 『稔るほど頭を下げる稲穂かな』 です。
つまり、下座の行。控え目に、優しさや奥床しさを忘れないということです。
私の学生時代は、クラスで学級委員は当たり前、生徒会でも活躍、集会では司会をし、
演説好きで、自分の意見を、良くも悪くも何でもはっきりものをいう性格で、生意気でした。
そして、21歳の時、『稔るほど頭を下げる稲穂かな』 という言葉を知り、
それまでの自分を恥じ、生き方を変えることに決めたのです。
人の嫌がることはしない。言わない。衝動的に感情的にものを言わない。
自分が本当は"10"言いたいところ、"1"で抑える。
どんな人にも親切に。感謝をして、頭を下げて、心おごらず生きる。
でも、それは本当に難しく、なかなか簡単にはできませんでした。
努力することで30代になってようやく少しずつできるように。
本当に長い年月かけて、今では、ずいぶんできるようになったような気がします。
しかし、最近その座右の銘の生き方をする自分に苦しく思うことがあるのです。
いかに人間はわがままで、身勝手で、謙譲の心に欠けていて、我が強く、
正義感が欠乏し、誠がなく、愛情に欠け、損得感情が多く、人情が薄いのだろう。
と思い知らされることがあるのです。
そのたびに、時には自分の正義感のなすままに、はっきり意見を言うべきかもしれないと
抑えることはやめようかと、立ち止まり悩むのです。
そんなとき、支えになったのは、家族が与えてくれる愛と、
自分自身が周囲の温かい人たちへ想う『感謝』の心でした。
そして、人は十人十色。みんなそれぞれ生き方が違い、考え方も違う。
だから、どんな人でも、個性として認めてあげるべきなのだと考え直し、
またそこで、怒りや不信感をぬぐい去る努力をします。
どこまでも平和に暮らしたい。と本当にいつも願います。
"争いがない平和"という意味もありますが、
それに加え、個人個人が幸せになって、それが広がり世界が幸せになり平和になる。
愛と感謝(人へ、自然への感謝)を個々が失わないでいれば、
必ず未来は明るいと信じたいです。
そして、これからの人生も、人が信じられなくなったり、
辛く心が痛み悲鳴をあげるときがあったとしても、
やはり私は 『稔るほど頭を下げる稲穂かな』 という生き方を、
人生最期の時まで模索しつづけるだろう・・と思います。
今日は長文になりました。
珍しく、ぶつぶつと独り言をいうようなブログとなってしまいましたが、
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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